代表挨拶

誇りある仕事を 価値ある会社を

創業、そしてバブルへ

 東京オリンピックが開催された翌年の昭和40年、私の父は吉村組を創業しました。当時は、職人たちも家族同様に寝食を共にしました。職人たちは私をとても可愛がってくれ、大工道具は私のオモチャでした。この頃は高度成長期の真っ只中ということもあり、手堅く業績を上げていきました。
 バブル景気に突入してからも成長を続ける当社。しかし、そのピークを迎えた昭和62年、突然、父が亡くなったのです。兄が会社を継ぎ、当時大学3年生だった私も、学業を続けながら仕事を手伝うことに。47名の従業員とともに必死に業務を続けてきました。しかし、バブルが崩壊します。売上げは半減。さらに、不動産問題で3億円もの借金を抱えてしまうことになりました。そして、入院生活が続いていた兄が亡くなり、平成6年、私が3代目社長に就任することになったのです。

存続させるという使命

 莫大な借金を返すのが私の仕事。最悪のスタートでした。もともと私は経営者の器ではないと思っていましたが、あきらめる訳にはいかない。やるだけやってみようという気持ちでいっぱいでした。しかし、バブル景気に踊らされてきた会社に、従業員の不満もたまっていたのでしょう。なかなか職人からの信頼も得られず、想いが通じない苦しい日々が続きました。
 そんなある日、数年前に当社を辞めたひとりの従業員が、もう一度働きたいと戻ってきたのです。他の会社で勤めてみて、当社の良さが分かったと言うのです。その時、吉村組には他にはない価値があるんだ、ということに気付いたのです。
 借金を返すことだけが仕事ではない。戻ってきた従業員や職人たちのためにも、この会社があって良かったと思われるよう会社を存続させるのが私の使命なのです。

職人としての誇り

 平成23年3月11日、あの東日本大震災が発生しました。翌朝、当社の4人の職人が毛布や食料、水などの物資をトラック2台に積み込み、現地に飛び込んで行きました。
 その年の暮れ、私は従業員を連れ、東北に視察に行きました。ボロボロになった街の姿を見て、呆然と立ち尽くし、涙が止まりませんでした。私たちの力を少しでも東北のお役に立てたい、と本気で思いました。従業員も私と同じ気持ちでした。
 平成24年の春、視察で同行した従業員が単身で現地に向かい、ついに東北事務所を開設。少しずつ増員し、現在では本社から4名、現地で3名、計7名の職人が東北で汗を流しています。困っている人に手を差し伸べ、感謝された時に感じる喜びは大きい。物も足りない、人も足りない。何も整っていない状況の中で試行錯誤して仕事をすることで、職人として技術も心も成長しています。

 これからも本社での仕事、東北での仕事を通じて、誇りを持って働いてくれる職人さんを育てていきたい。そして、強く美しい街づくりの役に立てればと思っています。

株式会社 吉村組 代表取締役 吉村 和久
株式会社 吉村組 代表取締役 吉村 和久
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